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2011年11月1日
言葉を大切にしよう── PART 2

 以前、他の雑誌に「言葉を大切にしよう」と題して、短文を寄稿したことがある(PART1)。  国会中継で「“ケンケンガクガク”の議論」うんぬんというフレーズに出会い注意喚起したつも り。もともとは、侃侃諤諤(カンカンガクガク)、広辞苑によると「遠慮することなく論議するこ と」。喧喧諤諤は、喧喧囂囂(ケンケンゴウゴウ)と侃侃諤諤が混交してできた語で、「多くの人が色々な意見を出し、収拾がつかないほどやかましいさま」と辞書にあるが、喧喧囂囂の意「たくさんの人が口々にやかましく騒ぎたてるさま」に近いものなってしまう。(実際はそうなのかも…)  近頃のメディアの言葉遣いも心配この上ない。 N紙の1面特集記事「野田政権に望む」に識者とのやり取りが載っていたが、聞き手である編集委員の質問の部分に、あたかも識者の見解かと見間違えそうな言葉が並んでいた。例えば、──「民主党内が結束できないのが問題だ。小沢一郎元代表の処遇とも絡む」とか、──「そのためにも日米の連携が大切だ」とか、──「普天間基地の移設問題も重要だ」…と、まるで誘導尋問するかのような質問を聞き手がしたことになっている。最近、メディアの世論調査の信憑性に疑問の声が出ているのも、むべなるかなという感じだ。  次に、会社の先輩社員から面白いブログ記事を紹介された。タイトルは「学ぶ力」。著者は「学力=学ぶ力、学ぶことができる力」と解釈すべきだと言う。偏差値などの数値に表して、他人と比べるものではなく、個人的な力、すなわち消化力や睡眠力と同じように、自分のしかるべき状態(平常、昨日など)と比べてその変化が良いかどうかを見るのが妥当だと言う。例えば、1年前より知識が増えた、半年前より計算が速くなったというように自分の成長度合いを見るのが学力測定の真の狙いなのだという説はなかなか面白い。  別の識者のブログには「“学ぶ”の語源は“真似ぶ”である」とあった。これはだいぶ前に聞いた言葉であるが、深く追求して考えることはなかった。赤子が母親の仕草を“真似て”成長していく、スポーツ選手が名選手のプレーを“真似て”上達していく、見習いシェフが下拵えをしながらキッチンの隅から三つ星シェフの料理する姿を“真似て”腕前を上げていく等々、恐らく人間国宝の栄誉を与えられた人は誰もが最初は“真似ぶ”ことから入ったのは間違いなかろう。  世阿弥の教えと言われる『守』『破』『離』(しゅはり)という言葉。かいつまんで言うと、「最初は師の教えを守り、次の段階ではそれを破って自分なりに工夫して、最後は師から離れて学んだことを発展させる」ということなのだそうだが、なかなか味わいのある言葉だ。  わが社の前社長から「『プアなイノベーション』よりも『優れたイミテーション』」という言葉を聞かされた時、今一つ腹にストンと落ちなかったが、「優れたイミテーション(『守』)の先に、真のイノベーション(『破』『離』)が待っている」と前後を置き換えると、“ストン”と落ちる。  日本の言葉には多様な意味合いが含まれており、学ぶことには限りがないということを、歳を重ねるほどに感ずる昨今である。