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2011年8月1日
うれしい気持ちの連鎖反応
コンサルタント
内藤 陽子

 毎朝、駅までの道のりに、幅70 ~ 80cm 程度の狭い歩道を歩く場所があります。自動車もそれなりに通る車道の脇で、その距離20m ほど。昼は閑散としているのですが、朝の人通りは多く、駅から学校に向かう高校生の集団と、近くにある幼稚園と保育園にお子さんを送っていくお母さんたちが、私が向かうのとは逆方向にせわしない様子で自転車を走らせていきます。  自転車1台通るのがやっとの道幅なので、前方から自転車が来れば、端によけて通り過ぎるのを待つしかありません。高校生集団は、多いときには10台以上が連なってくるため、朝の時間の無い時などは、少しばかりイラっとすることもしばしばです。  そんなとき、「すみませーん」と声をかけてくれる高校生がいると、狭量になっていた心がふっと和みます。それが元気な声で、ぺこりと会釈付きであれば、逆に朝から良いことがあったと、単純にも思うのです。  送迎のお母さん達も然りで、朝の忙しい時間との闘いで周囲を見る余裕のない方もいれば、「ありがとうございます」と一言かけてくれる方もいます。  先日、お礼を口にしながら目の前を通り過ぎたお母さんの自転車の後ろに乗っていた男の子が、一瞬目が合った私に向かって「ばいばい」と小さく手を振ったのですが、なぜか目を大きく見開いてどことなく緊張した面持ちでした。ところが、私が手を振り返したとたん、ぱぁっと、こちらが驚くほどの笑顔になり、遠ざかりながらも2 度3 度と振り返って手を振ってくれました。  おそらく彼は、普段から人に対してきちんと挨拶するように言い聞かせられていて、そのときも状況が分からないままに、お母さんが話しかけた人に対して「挨拶」をしたのではないかと思います。私から反応が返ったことで、「自分の行動を認めてもらえた」と感じたのでしょう。  挨拶は「存在認知のコミュニケーション」と言われます。  人は誰でも他人から認めてもらいたいと思っていて、その大前提となる「あなたがそこにいることを知っていますよ」というメッセージが挨拶であり、それを受け取ることで安心感を得られます。  その男の子との挨拶は、私からは(無意識でしたが)彼に安心感を与えることができ、彼からは思いがけずに最高の笑顔をもらうという、どちらにとってもうれしいコミュニケーションでした。  普段の何気ない挨拶が、例えば、毎日の元気をもらったり、見知らぬ人とのコミュニケーションのきっかけとなることもあります。  逆に、自分の挨拶に対して返事がなくてムッとした経験をお持ちの方もいるでしょう。でも、そこで自分から挨拶を放棄してしまうのは、結果的には自分の損になる気がするのです。私にとって男の子の笑顔がそうだったように、何気ない挨拶で相手が「うれしい」と感じてくれたら、自分も「うれしい」と感じます。挨拶の意味とは、そういう単純なことでいいのかもしれません。  「最近、挨拶できない人が多い」と感じたら、自分こそが挨拶をしていないのかもしれない、そんなことを考えながら、相変わらず傍若無人にすれ違っていく高校生集団にイライラしつつ、時々かけてもらう元気な挨拶に、笑顔を返している毎日です。