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2010年5月1日
日本人は劣化などしていない!?
シニアエコノミスト
福田 佳之

 作家の堺屋太一氏が「文藝春秋」2010年2月号への寄稿の中で気になるエピソードを紹介していました。堺屋氏は、最近中国の縫製工場を見学したときに、中国人社員から次のような言葉を聞かされたというのです。  「日本向けのジーパンは原価が20元(約260円)ですが、中国では売れません。見て下さい、このポケットの縫い目を、中国人はこんな粗い作りのジーパンは買いません。中国人向けは原価が40元です、アメリカ向けは100元で卸しています。」  最近まで日本向けは中国向けより高級でしたが、今は日本からは、多少手を抜いてもいいから安く作れという注文がくるそうです。こうした例を挙げて、堺屋氏は日本人の生活の質が著しく低下していると指摘しています。 私はこれを読んで衝撃を受けました。生活の質の低下に驚いたのではありません。安物の粗悪品でも満足して買う日本人が増えているらしいことにショックを受けたのです。  昔から日本人は何事にもこだわりが強く、要求水準が高いことで有名でした。こうした「うるさい」顧客がいたからこそ、日本企業は彼らのニーズに応える中で製造力や技術力、おもてなしのサービスなどを極めることができたのです。ところが、上記の話は日本人がこの特質を失いかけていることを示すものです。このままでは日本産業の強さの源泉が失われてしまう…。  ここまで書いてきて、自分が現状を嘆くばかりの偏屈オヤジになっていることに気づき、「ポジティブに考えよう」と思い直しました。  まず、「実用に問題が無ければ安物で十分だ」と考えるのは合理的な行動です。完成度の高い商品でないと許せないという国民性が、日本の製品を過剰品質で高コストなものにして世界市場では受け入れられなくなる事態を招いていましたが、こだわりを持たない日本人が増えれば、今後はこうした弊害は減ると期待されます。  また、衣服にお金をかけない人々が増えたことは、必ずしも日本人の「衣」が貧しくなったことを意味しません。皆がとりつかれたように高価なDCブランドを買いあさった80年代の若者と比べると、安くてもいいモノをファストファッションの店や古着屋で調達して等身大の装いを楽しんでいる現代の若者の方が、ずっとセンスがよくて「クール」と言えるでしょう。  もっと言えば、丹精込めてつくられた商品しか受けつけない人間よりも、多少粗悪な商品でも気にせずに使える人間の方が、生命力という点では強いはずです。これは数年前に流行語になった「鈍感力」の一種です。卑近な例で恐縮ですが、私は幼い頃は神経質で几帳面で、部屋の壁にかかった額縁が少し斜めに傾いているだけでも許せない性格でした。でも、20歳位の時にあえて行動にいい加減さを取り入れる癖をつけてからは、若干のずぼらさや柔軟性が身につき、そのおかげでこんにちまで社会で生きてこられた気がします(ただし、これが私の人格に対する妻からの不当に低い評価の原因になったことも事実ですが・・・)。  本題に戻れば、従来の日本流の強さは確かに失われつつあるとしても、一方で新しいタイプの日本の強さが生まれてきていることに、私たちは目を向けるべきかもしれません。例えば、バンクーバー五輪で国民の期待を一身に背負い、極度の緊張とプレッシャーの中で持てる力を出し切って見事にメダルを獲得した浅田真央選手や高橋大輔選手には、本番に弱かった昔の日本人アスリートにはない強靭さを感じました。新しいタイプの日本人が発揮する新しい日本の強さに注目していきたいと思います。