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2021年7月20日
<特別対談企画>
絶え間なくあふれ出る力
―マラソンランナー川内優輝氏に聞く―
インタビュアー: 経営センサー編集部長  日比野 淳一


マラソンは多人数のグループや、高価な道具、施設を必要としない手軽なスポーツだ。それだけに取り組み方はさまざまだし、成果は個人差が大きくなる。今回は、公務員の傍ら「市民ランナー」として鍛錬され世界レベルに到達し、今もなお前に向かって進んでいるマラソンランナー川内優輝氏に、その絶え間なくあふれ出る力について話を聞いた。

川内 優輝(かわうち ゆうき)氏プロフィール
1987年3月生まれ。東京都世田谷区出身。学習院大学法学部政治学科卒業。2009年埼玉県庁入庁。2019年4月からプロランナーとしてあいおいニッセイ同和損害保険株式会社に所属。小学校時代にランニングを始め、大学卒業後は市民ランナーとしてマラソンに取り組む。2011年東京マラソンで2時間08分37秒のタイムで日本人1位となり、注目を集める。日本代表として世界陸上に4回出場。アボット・ワールドマラソンメジャーズ の一つである2018年ボストンマラソンでは、記録的な悪天候の中、31年ぶりの日本人優勝を果たした。今年2月のびわ湖毎日マラソンでは、34歳にして自己ベストを更新。自分の道を歩み続けている。
  



やり方は一つでない

川内さんは、現在はプロランナーとして活躍されていますが、われわれのイメージは最強の市民ランナーです。大学時代は箱根駅伝に出場されるなど実績を残された中で、埼玉県庁に就職されました。実業団を選ばなかったのはお考えがあったのでしょうか。

川 内 話は少しさかのぼります。私が入学した高校は当時、県の駅伝で3位になるぐらいの強豪でしたが、2年生のときにけがをしてからは思うように走れなくなり、結果は出せませんでした。スポーツでの大学進学は難しく、学習院大学に進学しました。そこで入部した陸上部は、正直に言いますと天国のようなところで、部活としての練習は少なく、自分の裁量に任される範囲が大きかった。ところがです。1年生の秋に5,000mで高校時代のベストタイムを30秒も更新できたのです。2年生、4年生のときには箱根駅伝に学連選抜で出場できました。高校時代は、毎日の朝練から始まって、週末も練習とか試合、お盆、年末も合宿で練習づけだったのです。大学時代の練習の仕方に大きなポイントがあって、普通のサラリーマンをやりながらでも、自分で考えた範囲で練習できれば、きっとさらに記録を伸ばせると思ったのです。それに、実業団からのお誘いもほとんどありませんでした。公務員試験の勉強もしていましたので。

高校時代は練習のやり過ぎでしょうか。

川 内 ボリュームはそれほどでもなかったのですが、インターバルトレーニングなど強度の高い練習が多くありました。けがをしたら結局だめなのです。実業団にいれば質の高い指導が受けられると思いますし、同僚もいます。ただ、自分のペースで勝手に練習するわけにはいきません。それと「市民ランナーでもやれるんだ」ということを示したかった。反骨心もあったかもしれません。強豪校や実業団に行けなかったとしても、それで諦める必要はないわけです。

走り始めたきっかけがあったかと思います。

川 内 小学校のときに親から言われてです。6年生のころで2,000m 6分50秒ぐらいだったと思います。

やっぱり相当速いですね。今はプロランナーとして活動されていますが、コーチとかトレーナーの方はいらっしゃるのですか。

川 内 実は、社会人1年半ぐらいまで大学時代の監督に教わっていたのですが、次第に仕事との両立が難しくなってきて、そこからは今まで1人です。

1人でやることの難しさも感じます。

川 内 小学校のときは親に命じられてタイムトライアル、中学校では中学校の先生の言うとおり、高校では高校の先生の言うとおり、大学では監督の言うとおり。社会人1年半で完全に独立してからは、やり方を自分で考えて決めるようになりました。なんだか、それがすごく楽しかったのです。部活では、自分の希望があっても指導者はチーム全体を見てスケジュールを考えます。そのため、自由に市民マラソンなどには出られず、競技場のトラックレースと駅伝ばかりになりました。そうした中でずば抜けた結果を出した選手を中心としたスケジュールになっていくと、それ以外の選手はますます大変になる面もあるわけです。

1人でやることで、むしろさまざまなトライが自由にできるようになったわけですね。社長さんと同じです。同時に、強い精神力が必要です。

川 内 今はインターネットの時代ですから、走る仲間を増やすのも難しくはありません。情報交換もできます。監督と1対1の関係だったのが解消されて、横に大きく広がりました。


限られた時間でのトレーニング

川内さんが埼玉県庁に勤務されていたころ、月間の練習量は500~600kmぐらいだと聞きました。おじさんランナーの私の3倍ぐらいですが、どのようにタイムマネジメントされていたのですか。

川 内 時間管理はありますが、第一に、気張らないことです。無理に苦しい、強度の高いトレーニングを取り入れる必要はありません。まず、できる範囲のことをやるのです。私など、週のうち、強度の高い本格的な練習は2日だけで、残りは5分/kmペースのジョギングです。

そんなにゆっくりですか。本番では3分/kmですよ。

川 内 サブ4 ぐらいの実力の方なら、普段は6分半/kmでもいいかなと思います。要は、集中すべき日と、気軽な気持ちで走る日をしっかり分けてメリハリをつけることです。そうすると、時間さえあれば走れます。気持ちが続くのです。また、私の仕事で言えば、埼玉県庁職員として定時制高校に勤務しており、仕事は午後からでしたので、午前中は計画的に練習時間に当てられました。繁忙期は深夜まで残業になりますが、その日は大急ぎで就寝します。環境には恵まれていたと思います。

朝9時から仕事の人でも、毎日夜9時に就寝して、朝4時に起床すればほぼ同じようにできますね。

川 内 朝から夜まで勤務のときでも18kmをランに使えたのは助かりました。すごいことのように報道されていましたが、本当にゆっくりのジョギングです。しっかりした指導者の方は、「心拍数××をキープして」などと指導してくれますが、毎日高い集中力を持って臨むことはできません。練習の大部分は気軽なランニングで大丈夫です。

長いトレーニングの中では、「今日はどうしてもやりたくない」という日もあったのでは?

川 内 1年に数回はありますね。今日はどうしてもやりたくない日。調子が悪い日や、残業が続いたときとかも、やはり布団から出たくなくなります。そういう日はもう休んでしまいます。すると今度は妙な罪悪感が出てきて、明日はどんなにつらくても絶対に走ろうという気持ちになります。走ること自体は体に染みついていますから、それでもきつく感じるときは休むべきです。

食事の管理にも相当気を使われていると思います。

川 内 それほどガチガチにはやっていません。今は妻が管理して作ってくれていますが、あまり厳しくなく、ちょうどいい感じで助かっています。

奥様もランナーですね。

川 内 妻は実業団で10年間本格的にやっていました。今も走っていますから、一緒に練習することも多いです。私の大会などでも同行してもらっています。大きな大会ですと監督・コーチもIDをもらえますから、妻を監督・コーチにして一緒に行きます。走ることの気持ちもわかってくれるので、ありがたいです。


速くなったきっかけ

長い期間トレーニングを続けられていますが、幾度か、速くなったポイントがあったと思います。

川 内 やはり、楽しさを感じたときは結果が出ています。高校時代までは部活の練習メニューがみっちりで、力がついた部分もありますが、けがもして結局満足な練習はできませんでした。大学に入ってからは、監督のメニューは緩やかですべてこなせました。それに自分なりの工夫を加えました。自分の体と相談しながら取り組めたので、けがもなく継続して練習でき、結果も出たのです。自分で考え実行し結果につながっていく。こんなに楽しいことはありません。このサイクルはとても重要だと思います。ただ、若いうちはあまり楽し過ぎると「いける、いける」となって、やり過ぎてけがをしますから冷静な気持ちも必要です。今はベテランですから、メリハリの加減もうまくなってきたと思います。

今年2月のびわ湖毎日マラソンでは8年ぶりに自己ベストを更新されましたが、初めて厚底シューズをフルマラソンで使用されたと聞いています。

川 内 技術の進歩に合わせていくのも重要です。最近、スポンサーのアシックスが厚底カーボン入りのいいシューズを出してくれ、結果につながりました。長距離走では長い間薄底が常識でしたが、2~3年前からカーボン入りの厚底に変わりました。ちょっとしたレボリューションです。技術の進歩に合わせていくことも重要ですので、靴の力を出し切れる走り方を身につけたいと思います。
  
  

限界を感じたとき

メンタルが強いイメージがあるのですが、ご年齢も34歳になられますし、これまでも長く走ってこられて、限界を感じたことはありますか。

川 内 やはり何度かあります。2014年に左の足首を捻挫しました。その影響で2015年~16年にかけては絶不調です。精神的にもきつかったですね。それでも2012年ロンドン五輪に出場できなかったことがバネになって、2017年のロンドン世界陸上で9位に入り、復活できました。また、プロに転向した後の2019年ドーハ世界陸上ではまったく結果が出ませんでした。実は、このころ時間ができたので、これまでやっていなかった、実業団選手並みの距離を踏んでみたのです。月間で1,100km走っていたと思います。でも、力はつかなかった。プロになってから結果が出せないというのは苦しくて悩みましたが、自分のやり方に立ち返ることにしました。昨年の12月ぐらいでしょうか、練習を少し控えめにして、スピード練習も抑えて、妻のペースメーカーをしたり、今年1月31日大阪国際女子マラソンでのペースメーカーの仕事に備えた練習に集中していました。するとです、調子が上がってきて、2月28日のびわ湖毎日マラソンにピタッと合いました。ペースメーカーはもちろん仕事でやるのですが、それでも選手や大会関係者、そしてテレビの前のマラソンファンのために役立つことができたとの思いがあります。「利他」という言葉をよく聞きますが、めぐり合わせではあるものの、「本当だ」なんて感じました。分析してみると、プロになってから張り切り過ぎで体が慢性疲労の状態だったのでしょう。焦る気持ちもあって修正する冷静さがなかったのだろうと思います。コロナ渦で大会が次々と中止になり、普段と違うことをせざるを得なくなったこともプラスに働いたのかもしれません。


できることに注力する

本職はフルマラソンですが、最近は3,000mなどトラックレースに出場されています。狙いはあるのでしょうか。

川 内 やはり、コロナ禍の影響でフルマラソンやハーフマラソンの大会はほとんどが中止になっています。出られる大会が少ないので、トラック種目に狙いをつけました。そしたらなんと、800m、3,000mで自己ベストを更新できたのです。トラックでは厚底シューズは条件が厳しく使えませんから、ほぼ自分の力で20代のころよりいい結果が出せました。これ、本当にうれしかったです。まだまだやればできる!と力が湧いてきました。「年齢がいくとスピードが出ない」と決めつけてはだめです。やってみると予想外にできるものです。若いころのようなスピード感が戻ってきました。最近は靴の進歩もあって、ベテランで記録が大きく伸びた方がいらっしゃいます。やはり、何が起こるかわらかないですから諦めてはだめです。


楽しんで取り組む

最近は若い人もなかなか会社勤務が続かなくて、3年程度で辞めてしまう人も多い。私の時代などと比べたらはるかに多くの情報を入手したうえで、しかも苦労して入った勤務先なのにと思います。もう少し頑張ってもらえないのかと感じます。

川 内 やはり、仕事の中にも楽しさを見つける気持ちがあるといいですね。修行僧みたいに取り組んでも続きませんから。私は、社会人1年目はがむしゃらで、2年目は少しルーティーンがわかってきて、3年目は業務改善して時間も短縮でき、ランニングの時間も計画的にとれるようになりました。あのころは、「定時で帰る仕事術」とか、「Excel活用書」みたいな本を買い込んで、通勤時に読んでいました。年間のスケジュールも把握できれば、業務の繁閑も平準化できる部分はあります。忙しい時期を見据え、いつも先取りで仕事をしていました。若い方も、社会人になられて3年で燃え尽きるのではなく、せっかく3年頑張ったのですから、それを5年目、6年目に活かしてほしいですね。

転勤そのものを嫌がる人も多いのです。

川 内 それはそれなりの考えがあると思いますが、やはり社会人になる時点で、それが優先されるなら例えば地方公務員や勤務地域限定の一般職も選択肢です。そういう問題で悩むことにならない方が、自分の力を出し切れます。私の感覚ですが、転勤するとそれまでのことがリセットできて、心機一転できるのではとも感じます。
ランニングも仕事も楽しめないとだめで、「やらされてる」感があると伸びません。高校時代に「やらされる練習」ではなく、「やる練習」だと言われてはいましたが、意味を完全には理解していませんでした。自主トレも指導されていたメニューの延長線でしたので、結局はやらされていたのです。今は完全に自由ですので、自分で好きなようにやって、成果にも納得感があります。


ボストンマラソン優勝

2018年ボストンマラソンで優勝されました。あれは悪天候の中走り抜けられました。アボット・ワールドマラソンメジャーズ大会で日本人の優勝は川内さんだけです。

川 内 勝てたのはいろいろな要素があったと思います。まずは天候が味方をしてくれました。数日前から次第に悪天候の予想になってきたので、大変わくわくしていました。自分のタイムは出場者中11番目で、オリンピックや世界陸上のメダリストなど強豪が大勢います。諦めていたわけではありませんが、正直厳しい。でも、天候が悪化すればチャンスが生まれます。当日は気温3度、大雨、しかも向かい風か横風です。これはチャンスだと思いました。自分は雨が得意ですし、練習できる時間は限定されていましたから、さまざまな天候で走ってきました。
次のポイントは自分の実力を把握していたことです。いろいろな条件下で走っていましたから、この状況ならどうペース配分すれば、今の自分として最も速いタイムでゴールできるかが把握できていたと思います。私はポジティブに考えていたので、結果として、スタートでは1人で無謀に飛び出したような感じになりました。

米国の実況中継でも「テレビに映りたいのでしょうか。クレイジーですね」と解説されていました。

川 内 そのようですね。他の強豪選手たちは途中からペースを上げて私に追いついて、さらに飛び出す選手もいました。私は得意な下りでペースを上げたりしていましたが、すべて自分主導です。そうしていくうちに、私は常に自分のペースですが、周りの選手は悪天候の中でペースを乱し、消耗してリタイアしたりずっと後ろに下がったりしていきました。私は自分の力の限界はわかっていましたから、惑わされずに済みました。自分の力量を把握して冷静に最大のパフォーマンスを出すことです。そうこうしているうちに、40km付近でトップの選手を抜くことができたのです。彼はもう女子選手ぐらいのスピードまで落ちていたと思います。30分前に女子選手がスタートしていたこともあり、自分の順位に確信を持ってはいなかったのですが、ゴールで優勝者が通るルートに案内されたので、「勝ったんだ」と確信しました。

実況中継では「先ほどの発言は訂正します」と言っていました。やはり、入念な準備、正確な現状分析、強く冷静なメンタルがあったからこそだと思います。


市民ランナー・ファンとトップ選手を近づけたい

マラソン界だけでなく、陸上競技全体に言えると思うのですが、もう少し、儲かるスポーツにできないのかと思います。それがすそ野の広がり、レベルアップにつながるのではないでしょうか。

川 内 私はやり方だと思います。野球やサッカーとはレベルが違い過ぎますが、陸上競技ではファンサービスが足りません。市民ランナー・ファンとトップ選手との距離が遠いのです。例えば、大きなマラソン大会があっても、ゴールしたら、コーチたちとうろうろして、そのまま帰ってしまう。ファンにサインをしている選手はほんの一握りです。ファンサービスが足りないのです。もちろん、治療などに行かなければならない人もいるとは思いますが、サイン会や交流会がもっとできないかと思います。大きな大会であれば、海外の強豪選手が招待されています。お金を出して呼んだのに、走って帰ってもらうだけではもったいない。陸上競技全体となると簡単にはいきませんが、長距離は可能性があります。箱根駅伝だって、お正月みんな見るじゃないですか。駅伝が共感を呼ぶのは最後まで諦めない姿勢です。自分だけの競技だと1秒でも遅れたらそれで終わりですが、駅伝は次の人がいます。だから、抜けなくとも少しでも詰めておけば次につながる。仲間のために最後の最後まで頑張る姿が共感を呼ぶのでしょう。それに市民ランナーはすごく多い。東京マラソンに出場するには何倍もの抽選に当たらなければなりません。何かマネタイズする方法はあると思います。例えば、猫ひろしさんはさすがです。ファンサービスたっぷりです。でも実業団のトップ選手はほとんどやっていない。最近、びわ湖毎日マラソンや福岡国際マラソンなど、伝統的な大会が終了に追い込まれています。市民ランナーを大規模に集める大会と、エリートランナーで構成される大会とは目的などは異なるのですが、従来どおりのやり方がうまくいかないからと言ってやめてしまうのではなく、もう少し工夫できないのかなと思います。有名選手が集まれば、興味がある市民ランナーも大勢いるわけです。結びつける仕組みは何かあるのではと考えています。
  


川内さんは、あいおいニッセイ同和損保様と協働で「マラソンキャラバン」をやられていますね。

川 内 マラソンを通じて日本全国を盛り上げて地域貢献につなげようという、全国行脚プロジェクトです。私が招待選手として出場する大会や、自治体の要請に応じた講演会などで構成する取り組みです。今はコロナ禍の影響で思いどおりには進められませんが、少しでもさまざまな方と交流を持ち、マラソンの魅力を伝えることで社会に貢献したいと考えています。マラソンに取り組まれる方が増えることを期待しています。長距離は年齢を積んでも皆が取り組めることもあって人気が高い。もっともっと広げていけると考えています。


今後も走り続けてほしい

最後に、読者の方にメッセージをいただければと思います。

川 内 マラソンの場合は「継続は力なり」が大事なフレーズです。それにはまず心のけがに注意です。精神面で病んでくると続けられません。「走ることが楽しくないな」とか「仕事、楽しくないな」と思えてきたら、どうすれば楽しくなるか考えてみることです。心が病んでいるときは目の前のことしか見えていないことがあります。落ち着いて考えてみると、少し力みが抜けるかもしれません。自分の制御ができない場合は、客観的に見てくれる上司、先輩、同僚を頼ることです。普段からそのような人を見つけておくといいですね。周囲の方も相談されたら聞いてあげてほしい。スランプに陥ったときはいったん目標を下げてもいいです。「頑張らなくてもいい」と思うと、きっといい結果につながります。また、楽しくできているときは頑張り過ぎにも注意してください。マラソンだとけがにつながります。仕事でも同じだと思います。

本日はどうもありがとうございました。