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2019年6月17日
「常識」と「非常識」の狭間
部長(繊維・市場調査部)
高月 順一郎

 少し古い本ですが『常識の世界地図』(21 世紀研究会編)を読みました。われわれ日本人にとって、「当たり前」と考え、特に違和感のない行動・思考が、地域が異なると全く違った意味を持つことが幾つも書かれています。例えば、ご存じの方が多いとは思いますが、ギリシャ、ブルガリア、インドなどでは「首を縦に振ったらノー、横に振ったらイエス」の意味となるそうです(われわれ日本人とは逆ですよね)。また、「子どもの頭をなでること」が東南アジアや南アジアでは、非常に失礼な行為となる地域があるそうで、見とがめられると大変です。  この本には、このような例以外にも、歴史的な影響や宗教的背景による違いなどに伴う、さまざまな事象に関する日本と世界各国の「常識」の違いがたくさん書かれています。経済がグローバルに発展し、インターネットによって、簡単に世界中の情報が手に入るようになった現在では、実際に「常識の違い」を経験された方もたくさんいらっしゃると思いますし、その経験によって「常識」を変化させて身に付けられている人も多いと思います。  この「常識の違い」は、日本以外の海外の国に限ったことではなく、同じ日本国内でも、世代・地域・生活環境などによって生まれてきます。年配の方が「最近の若い者の考えることはよく分からん」と言う時や、「会社の常識が世間の非常識」と言われることなどがそうですね。後者の場合、一つの組織に長期間所属していると、俗に言う「蛸壺」状態になり、狭い世界の中で形成された、偏った価値観での「常識」に基づく判断になりやすいということです。気を付けないといけないですね。  近年は、技術革新のスピードが速く、また、デジタル技術・各種センサー・AI の進歩などによってこれまで分からなかったことが分かるようになり、見えなかったものが見えるようになり、「これまでの常識を覆す」新発見、新技術がたくさん出てきています。それゆえ、イノベーションには、ある種の非常識さが必要であるといったことが言われることもあります。そういう意味で、「常識」というものの位置づけや価値観が不安定になり、人々がうまく対応できなくて多くの事件や社会的問題が発生してきているのかもしれません。  それだけに、さまざまな意味での多様性が望まれている現代において、今日までの常識が、明日には「非常識」となりかねないので、自分の価値判断基準をしっかり持って、日々社会の動きについて目配りし、自分の知りたいことだけでなく幅広い情報に触れて、「社会の変化に常識を柔軟に対応させていける人間」になれるよう研鑽していきたいと思います。