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2012年10月1日
「いつか」はいつだ?
研究員(繊維調査担当)
安楽 貴代美

 いわゆる地デジ化の波から大幅に後れを取りつつ、やっと自宅にデジタルテレビを導入しました。景気付けに、2TB のHDD も設置したところ、面白そうな番組を片っ端から録画でき、大容量のありがたみをかみしめています。  ただ、ここで1 つ問題が。自慢のHDD は、いつか見ようと思って録画した映画や、スポーツの試合でいっぱいなのに、いざ、テレビの前に座っても、「今」見たい番組がないのです。2 時間の映画、これは確かテーマが重かった。今日は疲れているから、また今度にしよう…、サッカーの試合、これはさっき、スマートフォンのニュースサイトで結果を見てしまったな…。なかなか、これという決定打がないまま、結局、いくつかのチャンネルをザッピングして無為に時間を過ごしてしまいます。こんなはずではなかった。購入当初、番組表を眺めて、次々とHDD に録画予約を設定していた時は、これから始まる楽しいテレビライフにわくわくしたものです。  そういえば、この何か解せない気持ちを、別のどこかでも味わったことがありました。それは、出掛ける前の服選びです。クローゼットはいっぱいなのに、今日着たい服がない…。売り場で見つけたときは、あんなに良いと思った服、いつか○○の機会に着ようと計画した服が、今日という日になってみると、「ちょっと堅苦しすぎる」「袖が短すぎる」「生地が厚すぎる」「色が合わない」…選別の結果、何も残らないことになりかねません。  自分自身で、喜んで集めたはずの何かが、いざという時、さほど魅力的に見えなくなるのはなぜなのでしょうか。モノが変質しないとすれば、違いは、それを見る自分の目ということになります。HDDに録画した時、想像したのは、それを十二分に楽しんでいる自分でした。一方で、「今」それを後回しにしたがる自分がいます。  極端に言えば、両者は理想の自分と現実の自分ではないでしょうか。あれもしたい、これもしたいと考えていても、いざとなると、時間もそれを楽しむ心の余裕も無い。このままでは、不確定な「いつか」のために、嬉々として不要なものを集め続け、結果として身動きが取れなくなる羽目になりそうです。  それを回避する1 つのアプローチとして、本当の己を知るということが挙げられます。こんなにたくさん用意しても、果たしてそれを使いこなす技量が自分にあるのか? 問いかければ、本当に必要なもの、自分にとって心から愉快と思えるものと、その分量が分かるかもしれません。身の丈に合った生活という意味で、この方法はよく耳にします。  それ以外に、もう1 つのアプローチとして、今の気分をちょっと偽ってみるというのはどうでしょうか。今日は仕事で疲れたから、映画を見る元気がないという時でも、少し無理をして再生ボタンを押してしまえば、意外と楽しく見られることもあります。面倒だと思う気持ちから、いったん目をそらしてみるということです。  結局のところ、「いつか」が「今」なのか、そうではないのかを決めているのは自分です。HDD の容量が増えても、クローゼットが広くなっても、中にしまったものは勝手に消えません。ものを増やさない努力ももちろん必要ですが、とかく物事を先送りしがちな私の場合は、大事な宝物を、やっかいな心の重荷にしてしまわないために、「いつかは、今だ!」という勢いで、適切に使い切ることが重要と言えそうです。