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2016年9月1日
良薬は口に美味しか
研究員(繊維調査担当)
安楽 貴代美

先日、漢方薬を処方され、薬効などインターネットで検索してみたところ、詳細な解説を見つけることができました。すると、口コミ欄には「非常に不味い」という不吉なコメントがあるではありませんか。漢方薬に不慣れで緊張はあったものの、味については考えていなかったので、驚くとともにすっかり怖気づいてしまいました。飲んでみると、確かに何とも言えぬ奇妙な苦みです。2.5g の顆粒で、「100ml程の白湯に溶いて飲むとなおよし」といった記載まであり、どこの物好きがそんなことをするのかと、誰にともなく反抗的な気持ちにさえなります。  ところが、漢方薬についてもう少し調べてみると、この気持ちがひっくり返されました。それは、「その時の体調に必要とされる成分であれば、身体が欲しているので不味く感じない」という解説の影響です。確かに、疲れていると甘いものが欲しくなる、辛いものを食べすぎると怒りっぽくなるなど日常でも耳にします。言われてみれば、あの強烈な苦みも、春先の山菜に似た、美味みのあるほろ苦さに似ている気がしてこないでもありません。かくして、苦い薬の苦痛は和らぎ、効能まで保証された気になりました。  しかし、よく考えると処方された漢方薬に味の変化などありませんから、それは単に飲む側である私の変化によるところとなります。そこに至るには、いくつかのポイントがありました。第一に、苦かろうが美味かろうが、薬は飲むしかないことです。処方された以上、不味いからやめるという選択肢はあり得ませんので、服用に前向きになれるならどんな情報も信じたいという心理があります。第二に、「必要なものは不味く感じない」というのは、インターネットとはいえ、自分で探して見つけた情報であることです。他者からの押しつけではなく、自分で検討し納得したような気持ちになります。第三に、疲れていると甘いものが欲しくなるなど、特定の条件下で特定の味覚が求められるのが一般的かのような前提知識があったことです。情報に対する信憑性が自分の中で自然と裏付けされます。その結果、苦い薬を飲む苦痛が軽減されてしまいました。当初、「不味い」という感覚しかなかったのに、自分自身で勝手に「自分の身体に必要な味」という意味を補強し、薬に対する信頼まで高めました。裏返せば、実際はあいまいな根拠でも、都合の良いことを信じたわけです。  この例に限らず、自分の頭で特別な意味をつけ加えたモノとは結びつきが強くなり、好感を抱きやすくなる気がします。モノに対する「思い入れ」と言い換えることもできますが、そもそも「思い」を作りだしたのも自分と考えると、「思い込み」と背中合わせであり、客観的に判断しているようで、その実、無意識ながら自分の都合やさじ加減で評価していることがあります。  同様に、日頃当たり前に手にする自分のお気に入りのモノへの愛着や、それを手に入れた時の幸福感についても、ちょっと検証してみると意外な発見があるかもしれません。    ちなみに「山菜のほろ苦さ」などと言ってみた漢方薬ですが、実際、その苦みばかりを濃縮したのではどう取り繕っても「美味い」とは言えず、「えいやっ」と飲み込む技術ばかり上達しました。