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2018年5月16日
「啐啄同時」とコミュニケーション
人材開発部
逆井 克子

 新緑のきれいな季節となりました。職場に新人を迎えて活気にあふれる毎日を送っておられる方も多いと思います。わが家の子どもたちも新学期が始まり、新しい先生や友達との出会いなど環境の変化に少しの緊張感とワクワク感を抱えて、元気に登校・登園しています。  昨年度、私は上の娘の通う学校でPTA 役員をしていたこともあり、多くの保護者から育児話を聞く機会がありました。状況・内容はさまざまですが、共通してよく耳にしたのは、「子育ては思うとおりにいかない」ということ。ケースや程度の差こそあれ、世の親はみな同じような悩みを持っているものだと、共感することも多くありました。  そのような中、ふと出会ったのが「啐啄同時(そったくどうじ)」という言葉です。あるお寺の住職さんが言っておられたのですが、宋代の仏典『碧巌録』にある言葉で、ひな鳥が卵の外へ出ようと殻を内側からつつくことを「啐(そつ)」、親鳥がそれに応じて殻を外側からつつくことを「啄(たく)」といい、「啐」と「啄」の両者が一致して同時であってこそひな鳥は誕生することができる。この「得がたい好機」のことを「啐啄同時」というのだそうです。  「啐啄同時」を育児の場面に置き換えるならば、子どもによかれと思って学ぶ機会を与えたり教えたりしても、子どもの心や体がまだ学ぶ準備ができていない状態では、なかなか身に付かず、場合によっては苦手意識を植え付けてしまったりすることもあり得るということだと思います。逆に、学ぶ準備ができ、意欲が芽生えたタイミングであれば、教えたことをぐんぐん吸収していくでしょう。人にはそれぞれの成長のペースがあり、大人(教える側)が一方的に「教える」のではなく、子ども(学び手)の「内なるサイン」に耳を傾け、心身の状況や発達の段階についてよく見極めて、適時、適切な関わりをしていくことが大切なのだと思います。  そしてこの「啐啄同時」は、職場に迎えた新人教育の適時性にもまさに当てはまるように思います。この人材を育てたいと思って計画的に研修を実施し、チャンスを提供しても、本人にとって機が熟していないとなかなかうまくいかないでしょうし、また本人が「自発的に」頑張りたいと思っても、その「内なるサイン」を周りが見逃してしまうと、大きく成長する機会を逸してしまいます。  一方で、本人の「内なるサイン」が見えてくるのを待つだけではなく、成長するための内なる状況が整うよう、様子を見ながら外から刺激を与え続けることも大事なのではないでしょうか。そして、その状況確認のためには、こまめに声掛けをするなどコミュニケーションをとることが不可欠なのだと思います。  翻って、わが家の上の娘は小さい頃からマイペース。これまで何をさせても教えても、いつものんびりした反応だったのですが、ここに来て、ようやく少し自発性が出てきたように思います。これまで行ってきたいろいろな投げ掛けは、もしかしたら娘にとってはいずれも「まだその機ではなかった」のかもしれません。「○歳だからこうあってほしい…」などと一律に考えがちなところをぐっと抑え、目の前の子どもをよく見て、機を捉えた関わりができるよう心掛けていきたいと思っています。